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砂漠のキャデラック アメリカの水資源開発

【内容紹介】●本書「訳者あとがき」より


 1993年は、アメリカの河川政策が大きく変動した年であった。
 この年、ミシシッピ川流域で大規模な洪水が発生し、甚大な被害をもたらした。
 この洪水を分析した陸軍工兵隊は、ダム、堤防などの洪水調節用構造物は、予想を超えた洪水の際には役に立たないばかりか、洪水の被害を増大させることさえあるという結論に達した。工兵隊は、従来の構造物による洪水調節から、氾濫原の回復、避難プログラムの作成、氾濫原での土地利用の制限、洪水保険の奨励など、総合的な洪水対策へと転換せざるを得なくなった。
 一方、開墾局では、クリントン大統領の任命で、ダニエル・P・ビアードが総裁の職に就いていた。ビアードは翌1994年にブルガリアで開催された「国際かんがい排水委員会」での講演の中で、歴史に残る宣言をした。
「アメリカ合衆国においてダムの時代は終わった」
 世界最大の技術集団が、もはやダムを造ることはないというのだ。ビアードは1995年、96年に来日して同旨の講演を行い、「ダムの時代の終焉は、アメリカのみならず世界の趨勢である」と述べている。
 したがって本書は、一世紀にわたる「ダムの時代」の総括の書といえるだろう。本書の末尾で「アメリカ西部は、いつか、おそらく私の生きている間に、過去への前進を止め、未来へ向かって後退を始めるだろう」と予言しているが、それは思ったより早く訪れたようだ。アメリカではダム建設を止めたばかりか、現在あるダムを撤去する動きまで始まっている。
 しかし本書の価値は、環境問題、政治問題の告発の書としてだけでなく、「水」を切り口とする20世紀アメリカ史の一断面、水をめぐるアメリカ西部の精神史と政治史を余すところなく書き上げたことにもあるだろう。そこには、外交、軍事、経済などの側面から見慣れたアメリカとは、また別の姿がある。「民主党=リベラル=福祉国家」「共和党=保守=小さな政府」という固定観念は、水資源開発の「大義」の前には完全に打ち砕かれる。

 ダムの功罪については議論があるにしても、それは一応、科学的根拠に基づいて経済的利益のために建設されていると広く信じられている。そのため、ダムの賛否は、人間の利益か自然保護かという議論に陥りがちだ。だが、本書を読むと、ダム建設が幻想に基づいて政治的利益のために行なわれていることがよくわかる。このような異様な行為が、これほど大規模に白昼堂々行なわれていることには、ただ唖然とするばかりだ。だが、これは一方で、日本での現実でもある。事業の正当化のために費用や損失を過小評価し、便益を過大評価する。ありもしない水需要を根拠に事業を行なう。実際には供給できない水量を約束する。事業の目的を偽り、すり替え、恣意的に変更する。反対する住民に様々な圧力を加える……。本書を訳しながら、日本のことを記述してあるかのような錯覚に、訳者は一度ならず囚われた。
 本書がきっかけとなって、アメリカの公共事業政策は変わった。日本が未来への後退を始められるのか、これからも過去へと前進を続けるのか、我々はその岐路に立たされているのかもしれない。
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