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日本全国化石採集の旅・完結編
いつまでも化石が僕を呼んでいる

【内容紹介】●本書「おわりに」より


 今回、最後に「化石仲間のメッセージ」として友人に原稿をお願いした。こころよく9人の化石仲間に原稿を書いていただいたが、そのなかで一番弟子の足立君が、「『すごいなあ、きれいだなあ』という気持ちで採集できればいい」と述べている。僕もまったく同感である。まったく科学的でないのも困るし、クリーニングや整理をちゃんとしないのも落第である。でも理屈ばかりが先行し、発見したときの喜びを忘れたり、化石の美しさに何の感動もないというのはもっと淋しいような気がするのだ。
 化石の種類がどうあれ、古環境がどうあれ、現在のわれわれの実生活には直接なんの関係もないことである。そんなことを真剣になってとやかく述べても、興味のない人からすればうっとおしいだけに違いない。趣味とはそんなものである。
 僕が「日本全国化石採集の旅」を執筆しようと思った本来の目的は、化石を何も知らない人に少しでも興味を持ってもらい、化石を正しく知ってもらおうということである。決して化石が好きな人のためにだけ書いた本ではない。だからあえて化石の学名にはこだわらなかったし、難しいことも述べなかったつもりである。それよりも発見の苦労や喜びを、旅行中のいろいろなエピソードとともに述べて、一緒にその楽しさを味わってもらおうと思って書いたつもりである。
 化石はそのイメージよりも意外と美しいものである。その美しい化石を、まず「美しい!」と感じてもらうことで興味をつなぎ、それから化石を考えてもらいたいのである。まずは感じることが一番。そして次に不思議だと思うことである。最初から理論や理屈を並べても、一般の人にすぐに興味を持ってもらうというのは無理ではないだろうか。それはお節介というものである。
 博物館でも、難しいことばかりをパネルで述べるのではなく、美しく、カッコよく、しかも本物の化石をたくさん並べ、少しでも一般の方々に感動を与えるような展示にしてほしいと思うのである。
 また、同じ標本でもできるだけ身近な産地で採集されたものを展示すると、それだけで親近感が湧くというものである。いくらきれいな化石であっても、それがモロッコとかボリビア産であれば、それを見た普通のおばあちゃんにはピンとこないのではないだろうか。それが町内のものでなくても、自分の行ったことがある場所であったなら、「あー、ここならいったことがあるよ。あんなところから出てきたのか」という言葉がもれるに違いない。
 そんなことが僕の化石や博物館に対する考え方である。
 僕は決して化石研究者でもないし、化石マニアでもない。強いて呼んでもらうなら「化石の好きな旅人」というところだろうか。あまり専門的になると心の視野が狭くなる。もっと心にゆとりをもって化石を楽しみたいのだ。化石だけではなく、動物や植物など、自然のいろんなものにも目を向け、感動し、地球に生きててよかったと思い続けたいのである。
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