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九州・沖縄 食文化の十字路

豊田謙二[著]

1600円+税 A5判 144頁 ISBN978-4-8067-1380-7


九州・沖縄は、弥生時代から現代まで、食文化を通じて世界とつながっていた!
食材をいかに食卓に載せるかという「食卓のテクノロジー」の視点から、九州・沖縄の郷土料理、蒸留酒と食の地域的特色、時代背景、中国・朝鮮半島との交流を浮き彫りにする。

焼酎の導入の南回り文化(沖縄経由)、北回り文化(中国・朝鮮半島経由)の発見、遠くペルシアの蒸留技術に端を発すること、知られざる薩摩焼酎の歩みなど、興味深くて美味しい記事満載。

【目次】



I 章 韓国の薬膳
     医女チャングムの医術と薬膳
     伝統食の基本的特徴
     韓国伝統料理の基本形
     疾病予防と薬膳食
     健康づくりでの東洋と西洋

II 章 食と焼酎のアンサンブル
     壱岐の食と麦焼酎
     仏教文化大分の焼酎と食
     球磨の自然と焼酎文化
     ひむか神話街道の猪とそば焼酎
     薩摩藩と卓袱料理
     海上の交流に育つ黒糖焼酎
     もてなしの心 泡盛と琉球料理

III 章 食文化の十字路
     海藻
     麺
     豚
     ゴーヤー
     ノウサバ
     南蛮漬け
     サツマイモ
     茶種
     鍋料理
     茶粥
     寿司
     菓子

IV章 薩摩焼酎の時代史
     自家用酒醸造の禁止
     苛税反対の大演説会
     税務官吏は「冷酷峻烈」
     銘柄なしの焼酎広告
     忘れがたき醸造技師たち
     黒糖焼酎で奄美の文化を発信する
     WTO酒税紛争での敗訴
     
おわりに
参考文献

はじめに



 口から体に入れるものを食と呼ぶ。これが食の定義だ。
 ある認知症介護での看取りの現場である。スタッフは祈るようにしてお年寄りの口にミキサー食を運ぶ。飲みこんでくれると安堵の空気がお年寄りの周囲に漂う。お年寄りが口から食べられなくなると、一般的には経管栄養という医療措置がとられることになる。このお年寄りに関しては家族とスタッフの間に介護観が共有されていて、そうした医療的措置はとられないのである。つまり、お年寄りが食をとれなくなると、それは自然な死を迎えることを意味する。
 食はまさに命であり、体をつくるものである。このことは当然のようであって、その重要性を自覚できる機会は、じつはとても少ないのである。

 本書の冒頭において「薬膳」を取り上げたのは、東アジアの食文化圏での「医食同源」の伝統をまずは顧みたいと思ったからである。今日の日本の食生活のなかではその伝統性はすっかり消えてしまっているが、つい最近まで「薬草図鑑」が家庭に備えられ、医者いらずの生活が実践されていたのである。「薬膳」が日常食から消えてしまっているのは、本家本元の韓国や中国の食事情でも同じであるらしい。
 そうだとすると、食の問題性は、市場のグローバル化という現代的世界経済の進行のなかで考察する必要がありそうである。今日のグローバリゼーションが巨大な意味をもつのは、生活圏でのローカルな生産と消費が市場を介して世界経済と連動しているからである。九州・沖縄は今日の意味での世界とは同じではないが、それぞれの時代において、食文化を介して世界とつながっていたのである。そのことは、日本列島のほかの地域と比べても、交流の意義はきわめて大きなものである。それは九州・沖縄の食文化における顕著で基本的な特性を意味している。

 本書では食文化の考察にあたって、それを過去から現在へと積み上げられた「層」としてとらえようとしている。
 まず、紀元前の弥生文化期に北部九州に水稲文化が導入される。それが食文化層の基底を形成する「主食」としての米である。さらに仏教による列島の統治の過程で、六七五(天武四)年に牛、馬、犬、猿、鶏の肉食禁止令が公布され、一八七二(明治五)年の肉食解禁まで、公式には約一二〇〇年の間肉食から遠ざけられたのである。その間、庶民の食卓では米を中心とし肉食でない主菜が組み合わされてきた。
 もっとも、肉食禁止の食卓とはいっても、禅宗などの宗教的影響や中国文化、さらに朝鮮半島との交流などによって地域での食文化を形成してきたのである。食材が伝えられても、直ちにその食材が伝えられた地域で生産が軌道にのるわけではない。重要なことはその伝えられた食材の食べ方である。つまり、調理をして食卓に載せる調理法が必要なのである。生産と消費、そしてそれをつなぐ調理能力、その総体を「食卓のテクノロジー」と呼び、最重要視したい。
 したがって、II章以下では地域的特色を浮き彫りにする視点で、食と焼酎を取り上げる。その特色づけにおいて可能な限り調理方法や飲食方法などの食卓文化にも言及している。九州・沖縄はとくに、蒸留酒、つまり焼酎や泡盛の食卓文化を継承している。筆者は長い間焼酎の研究にかかわっているが、今回の調査研究では地域での焼酎ブランドを訪ね、これも地域的・歴史的文化の背景を掘りだそうと試みている。また、朝鮮半島の「安東焼酎」と「壱岐焼酎」との親和性を確認できたことはうれしいことである。焼酎の導入経路を沖縄からとする「南回り文化」だけでなく、中国から朝鮮半島経由でのいわば「北回り文化」の研究の端緒ができたからである。
 中国や朝鮮の食文化との比較で目につくのは、九州では食材を生で、野菜や魚はもちろんのこと、鶏、牛、さらに馬などを生で食すことへの強い嗜好を痛感するのである。そうした「生食主義」が九州だけなのか、それともこの列島での食の伝統なのかはいまは定かではない。また、隣りあわせの地域間での食文化の相違にも驚かされる。宗教的、あるいは祭事や行事などで地区ごとにまとまって行動してきたなごりなのであろうか。III章では地域の「食」の不思議な個性に精一杯手を差し伸べてみた。
 IV章では薩摩焼酎の知られざる歩みを、これは中央史ではなく地方史の視点から発掘しようとしたものである。
 調査研究のあいだに突き起こされてきた新しい課題を見据えながら、本書で研究途上の一端を披露させていただくことにしたい。
 初出原稿を採録するにあたり再考し慎重を期したものの、思わぬ勘違いや資料などの読み違いがありはしないかと、恐れている。読者のご叱正とご教示を賜ればまことに幸いである。